男尊女卑が甚だしい時代、女性弁護士のはしがけとして活躍した三淵嘉子さんがモデルで描かれています。
家では奥さんが家庭を牛耳って(切り盛り)いても、外では夫を立て、内助の項に徹する。
現在60代くらいの男性は、昭和時代に『女に選挙権はいらない』っと、会社でも普通に公言している人もいましたよ。
みんな自分のお母さんにはめちゃくちゃ頼っているのにね!
ドラマの中でもその『男性が一番』というセリフが度々出てきては、賢い女たちを泣かせたりイラつかせたりして底力を出していきます。
さて、この時代にその世の中と闘ってきた今回のモデル、三淵嘉子さんとはどんなかたでしょうか?
三淵 嘉子さん
(みぶち よしこ)
1914年〈大正3年〉11月13日- 1984年〈昭和59年〉5月28日)
日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事および家庭裁判所長。
略歴
台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女として、シンガポールにて生まれる。
シンガポールの漢字表記のひとつである「新嘉坡」から「嘉子」と名付けられた。
東京府青山師範学校附属小学校(学芸大学附属世田谷小学校)卒業
を経て東京女子高等師範学校附属高等女学校(お茶の水女子大学附属高等学校)卒業
明治大学専門部女子部法科(明治短期大学)入学
1935年、明治大学法学部(明治大学大学院法科研究科)入学
1938年に高等試験司法科試験(高等文官試験)に合格
明治大学を卒業
1940年に第二東京弁護士会に弁護士登録をしたことで明治大学同窓の中田正子、久米愛と共に日本初の女性弁護士となる
1941年に武藤家の書生をしていた和田芳夫と結婚。
和田が召集先の中国で発病、1946年に帰国後長崎の陸軍病院で戦病死する
1945年に長男や戦死した弟の妻子とともに福島県河沼郡坂下町(現・会津坂下町)へ疎開
両親の住む川崎市に移り住む
1947年、裁判官採用願いを司法省に提出。
司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任。
1949年6月4日に初の女性判事補となった石渡満子に次いで、同月28日に東京地裁判事補となる。1952年、名古屋地方裁判所で初の女性判事となる。
1956年、裁判官の三淵乾太郎(初代最高裁長官だった三淵忠彦の子)と再婚。三淵姓となる。
1956年、東京地裁判事となる。
広島と長崎の被爆者が原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当(裁判長古関敏正、三淵、高桑昭)。1963年12月7日、判決は請求棄却とするも日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言した
1963年より1972年まで東京家庭裁判所判事。少年部で計5000人超の少年少女の審判を担当した。
1972年、新潟家庭裁判所長に任命され、女性として初の家庭裁判所長となる。
1973年11月に浦和地裁の所長
1978年1月からは横浜地裁の所長
1979年に退官。
1980年に再び弁護士となり、その後は日本婦人法律家協会の会長や労働省男女平等問題専門家会議の座長を務めた。
1984年5月28日午後8時15分、骨肉腫のため69歳で死去
猪爪家に下宿する書生・佐田優三(仲野太賀)が演じているので、主人公・猪爪寅子(伊藤沙莉)と結ばれるのかな?っと思いましたが
やはり夫婦となるのですね。
なぜ法科の女子学生は男言葉?
ドラマを見てなぜ男性のようなフリをしたり、違和感ある男言葉を使うの?
っと、思った方も多いいのではないでしょうか?
男尊女卑激しい時代、会社や学校内ほど、自分たちの世界に入ってきた女性に対する嫌悪感とか上から目線をハッキリ露出しやすい場所だったのではないでしょうか?
女性で初めて医療の世界に入った人や、それまでの女性が入れなかった世界に女性第一号で飛び込んだ人は全員、男性からのからかいや疎外感をくぐり抜けてきていますよね。
これ、男性と女性の立場が逆だったら、男性側は我慢できたかな〜?
女性の耐える力は、女性性特有の強さでもあるから耐えられたのではないでしょうか。
ドラマに見る男言葉は男性社会の中で立ち回るのに、同じ立場に立って、男性のように振る舞うことで自分を奮い立たせ守ったのかもしれませんね。
現代の女性の一応男性と対等の立場であると言えることは、先輩たちが女性の社会的地位を上げてきてくれたおかげです。
しかし、身体的能力としての力強さが高い男性の方がやはりまだまだチャンスは多く感じます。
男性らしく、女性らしくの定義もあやふやな今です。
女王の国イギリスであっても、一般家庭ではやはり男性の方が立場が高く、完全に対等である!っと言える国もないと思います。
女性には永遠のテーマですね。
ドラマ相関図
法科学校はどこがモデル?
明治大学の前身である明治法律学校は1881に開校し、近代日本の法学教育の先駆的教育機関のひとつでした。
その後1903年の専門学校令により、「明治大学」と改称した上で法学部、政学部、文学部、商学部を設置。
各学部に本科と専門科がありました。
その後、1921年に二部法科が設置されています。
明治大学専門部女子部は、法科と商科に分かれる3年制の学校として昭和4年(1929)に開校。
明治大学学長である横田秀雄氏、明治大学法学部教授で弁護士の松本重敬氏、そしてドラマでも寅子に女子部入学への道を示した穂高重親のモデルである穂積重遠氏の肝いりで進められたプロジェクトで、女子高等教育に新たな道を拓く第一歩となりました。
今回の連ドラは、史実に忠実な部分が多いですね。
まとめ
日本初の女性弁護士で、のちに裁判官となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんをモデルにした昭和の法曹界が舞台の物語。
堅苦しいイメージの内容もテンポの良く、女性として共感できて、応援したくなるドラマです。
久しぶりに毎日見たくなる朝ドラです!
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