台所に必ずあったSBカレー赤缶|インド人に教えられたエスビー食品の赤缶とは?【カンブリア宮殿】

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日本初のカレー粉を作ったエスビー食品が2023年今年で100周年を迎えるそうです。っと聞いて、昔インド人の友人から聞いたエスビー赤缶を思い出しました。

思い出含め、エスビー食品カレー粉について調べました。

日本人が大好きなカレー。

「何食べる?」って時に必ず候補に上がるのがまず『カレー』じゃないですか?

カレー?
お寿司?
フレンチ?
イタリアン?
和食?

などと、「インド料理?」とは聞かずお寿司と同じランクで聞きますよね。

そして、毎日食べても飽きない。
初めて男性が料理する時、まずは「カレーを作れる男!」。が目標ではないでしょうか?

私はカレーは食べるのも作ることも大好きです。
カレーはその家によって、作る人によって味も風味も違いますね。

私は『スパイス』が好きで、集めるのも楽しい。
カレーの時は、ルーは自分でスパイスを調合するのも楽しいです。

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王道の赤缶!

あなたは自分でカレーを作ったことがありますか?

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インド人が認める味

20年以上も昔の話になりますが、友人にインド人の女性がいました。
彼女は私より年配で、来日しているインドの方々の中でもかなりの地位の高い方でした。
大久保にあるインド大使館はもちろんのこと、ヨーロッパの王族のパーティにも招待を受ける方でした。
年に数回彼女のホームパーティに呼ばれた時は、毎回用意されるインド式の食事が楽しみで、どんな予定があっても必ず駆けつけました。

カレーは、日本式のトロリとしたカレーライスのカレーではなくて、近年では珍しくなくなった挽肉のパラパラしたカレーから、ほうれん草の緑色のスープカレーでした。

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当時インドや近隣国の方々が経営するカレー屋さんは沢山ありましたが、東銀座にある『ナイルレストラン』の初代シェフの調合するカレーが「インドに行かなくてもインドを味わえる」唯一の場所だったと記憶しています。
当時は珍しくて会社の接待にも使ったな〜。

Ginza Nair’s Restaurant
〒104-0061
東京都中央区銀座4丁目10-7TEL 03-3541-8246

今は代替わりしてますが、味は変わってない!

パーティのカレーはどれもル・クルーゼの一番大きい鍋にたっぷり作ってありました。

3〜4種類は必ずあり、重い蓋を開けるとそれぞれのスパイスの香りにお腹が鳴りました。

また、サモワというスパイスの効いた挽肉(ハンバーグの具をカレー粉で炒めた物)をナンの皮で包んで、揚げたもの。

タンドリーチキン!
これも辛いバージョンと甘いバージョンとサーブされました。

甘いデザートには、シナモンやカルダモンを香らせた紅茶。

彼女が毎回挨拶の時に必ずその日のゲストに話したのは、

『カレーはその家その家のスパイス調合がありますが、日本ではそのスパイスを見つけるのは大変。
だけど、とっても簡単な方法があるの。
それはエスビー食品の赤い缶のカレー粉!
あれは、インドと本当に同じ味が出せるし、良質のスパイスを使っているのよ!』

全員が帰宅時にSB赤缶を購入して帰ったのは、後のパーティーでの話題でした。
その時の参加者は20代から50代ですがみんな知ってるし、エスビー食品カレールウにはお世話になってるけど赤缶をきっと意識していなかった。

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日本の企業が作っているのに、カレーを毎食食べる国の人も認めるんだ〜っと、子供の頃から祖母の台所や母のキッチンの引き出しに蓋が少し錆びた赤缶が転がっていたのを思い出しました。

でもそんなに使いこなしていたイメージがなく、半分使っては使いこなせず残っているだけの印象でした。

ですから、本格的すぎるスパイスは、スパイス好きとさして興味のない人では使いこなす量の差がはっきり出た気がしました。

エスビー食品の小さな赤缶の歴史

1923年、エスビー食品の創業者・山崎峯次郎さんが日本で初めてカレー粉の製造に成功されました。
日中戦争を契機に、原料不足の中、カレー協同組合の立上げや原料の国内栽培に積極的に取り組むなど、輸入原料不足の非常時を切り抜け、カレー振興を下支えされました。
終戦を迎え、物資が手に入らない時期にも、カレー粉の原料を各地に飛び回って買い集め、品質を落とさずに製造を続け、戦後、復興のエネルギーの起爆剤としてできたのが、赤缶カレー粉。
1950年赤缶の誕生です!
三十数種類のスパイスを絶妙な比率でブレンドし、焙煎、熟成などの創業時に確立した秘伝の製法をベースに製造。

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日本のカレー文化を支えてきたのは言うまでもありませんね。

創業者・山崎峯次郎さんが考案しなかったら、日本のカレー文化はまた違う形だったのではないでしょうか?

創業者・山崎峯次郎さんのおかげで日本人はカレーが大好きなのでは?とも思います。

エスビー食品の社員でなければ、きっとカレー粉の歴史をあまり考えることなく、欧州からの物資の中からスパイスを見つけ戦前からカレー粉に格闘してきた人がいた歴史を垣間見ることもない人がほとんどだと思います。

赤缶の中身。成分表示は?

ターメリック、コリアンダー、クミン、フェネグリーク、こしょう、赤唐辛子、ちんぴ、香辛料

「赤缶」の呼び名で親しまれてきた日本のカレーのスタンダード。
30数種類のスパイス&ハーブを絶妙なバランスで調合し、こだわりの製法で仕上げられた赤缶。

栄養成分100g中
 エネルギー 416kcal
 たんぱく質 12.7g
 脂質 13.2g
 炭水化物 61.5g
 食塩相当量 0.2g

カレー粉へのきっかけは“生薬”だった?

当時はカレー粉がどんな原料で作られているか誰も知らない時代。
インドから原料を取り寄せたり、古書店で資料を探す毎日で、
生薬のひとつ「ウイキョウ」の説明の中に、「カレーの原料としても使われる」と書いてあったのを偶然見つけた事が、カレー粉の製造法を解き明かす大きなきっかけとなったそうです。

ここに着目してくれたから今があるんですね!

製粉方法スタンプミルとは?

開発当初はお抹茶を引くときに今でも使われる石臼を使って原料を粉にしていましたが、カレー粉の元であるスパイスやハーブの香りを最大限に生かす製粉方法として、杵と臼を使ったスタンプミルという製粉方法を発見されたそうです。

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最初は御影石をくりぬき臼を作り、鉄棒の先を丸くとがらせて杵にして製粉した。
このスタンプミルという製法は現在でもエスビー食品のカレー粉作りの重要な工程のひとつだそうですが。、今ではどこの家庭でもあるスパイスミルですね。

この後、熟成が必要だと言うことも発見し、奇跡の調合を完成されたそうです。

神秘の製法として焙煎する

調合したスパイスやハーブの香りを引き出しカレー粉にするための重要な工程の一つとして焙煎があるそうです。
コーヒー豆の焙煎というとイメージ湧きますね。
焙煎している間に香りを逃がさない2重構造の焙煎機を独自に開発され、門外不出の神秘の製法として社内でもトップシークレットだそうです。

カレーの辛さの違いは何で?

カレールウの辛さの表示は各メーカーが独自に定めた基準で決めているそうです。
お店によっても1辛〜6辛などの表示があるところもありますね。

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カレーの辛さは、
唐辛子の辛み成分カプサイシンと、こしょうの辛み成分ピペリンの量で決まります。

辛さの感じ方は、その他、具材や粘性、調味料の種類や量によっても左右されますので、実際に複数の人が官能(味見)し、評価して決まっているそうです。

辛いのが好きとか、辛くても平気な人と、辛さで味がわからなくなってしまう人、人の数だけ味覚の感じ方は違いますよね。

それらの結果に、商品のコンセプトを加味し、甘口・中辛・辛口を決めすそうです。
同じ中辛でも、商品の種類によって、辛さの感じ方は違います!
商品の種類により辛味の違いがあるのも面白いですね。

SB食品の歴史

エスビー食品の歴史は創業者 山崎峯次郎さんの歩みと、赤缶の歴史が同時進行ですね。

この方が誕生しなければ日本のカレーは違っていたでしょう!


創業者 山崎峯次郎さん
1903年(明治36年)に埼玉県北葛飾郡金杉村に生まれる。
17歳の時上京し、ソース屋に勤めていた時に出会ったカレーライスに衝撃を受け
、カレーライスの基本となるカレー粉の製造を決意。
当時、外国製のカレー粉が席巻しているなか、試行錯誤の末、「秘伝の調合」「焙煎」「熟成」という極めて重要なカレー粉の秘密を解明し、1923年に日本で初めて純カレー(カレー粉)の製造に成功。同年エスビー食品の前身「日賀志屋」を創業。

エスビー食品ホームページより

日本のスパイス〜薬味〜

スパイスというと、海外のもの、洋食のイメージが強いですが日本料理は『薬味』としてスパイスが味を引き立てますよね。

日本の一番古い本として習う
「古事記」(712年)には
しょうが、またはさんしょうを指す「ハジカミ」や蒜(にんにく)

「東大寺正倉院文書」の中の正税帳(734年)には、胡麻子(ごま)

「延喜式」(927年)には干薑(乾しょうが)や芥子(からし)
★にんにくの栽培法も記されているそうです。

「本草和名」(918年)には山葵(わさび)

などの名が記されており、古くから日本で栽培されていたことがわかります。

こしょうなどの熱帯地方原産のスパイスは、聖武天皇の時代(724ー749年)にすでに日本に上陸していたようで、正倉院の御物の中にこしょうのほか、クローブ、シナモンがおさめられており、いずれも貴重な薬として日本に渡来していたとは驚きです。

その後も中国との交易、中世ヨーロッパ人の来航、日本の東南アジア諸国への渡来、近世の御朱印船貿易などによってスパイスが次々と渡来しています。

旨み成分がわかる舌をもつ日本人には、スパイスの往来は当時の人々にとって楽しい発見がたくさんあったと思いますね。

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まとめ

私は大のスパイス好きです。
海外に行ったら、日本にはない大量の種類と見せ方に惹かれ、何かしらのスパイスを購入してしまいます。
日本と違い、空気の乾燥の違いで粉を店頭で量り売りすることも容易いですよね。

カレー粉も一つ一つ集めるのも楽しかったですが、今回調べてみてエスビーの赤缶がなぜ日本の家庭には必ずあるのか?
また、創業者 山崎峯次郎さんのご苦労を知り、カレー粉は今後赤缶一辺倒で充分だと思いました。

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