坂田利夫(アホの坂田)|認知症?寝たきりでも慕われる師弟関係とアホの逸話

タレント
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【訃報】28日老衰の為、他界されました。
合掌。

結婚されておらずでしたが、多くのお弟子さんに見守られて亡くなったそうです。
なんて幸せな最期だったのでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。

アホの坂田といえば、昭和の人間は
顔や小さな身体で
「あ〜りが〜とさ〜ん」
って声の芸風がすぐに頭に浮かぶと思います。

そういえば、テレビで見かけなくなったなと思ていましたが、坂田利夫さんも
81歳。
介護施設に入所されています。

たくさんの弟子がいらっしゃいますが、間寛平さんは師匠を世の中から
忘れられたくないのでしょう。
訪問のたびにX(旧Twitter)で坂田利夫さんの今を私たちに報告して
くださってます。

坂田利夫さん、現在60代近辺の方ならアホの坂田と言ったほうが
しっくりしますね。

歳行きはったな〜。でもいい顔されてますね。京都大学卒業の方の坂田さんに見えます!

自らアホだということを芸風にしていたし、人に笑われてナンボの漫才の
世界ですが、一度舞台を降りると、弟子や他の人、それがファンからでも、
アホと呼ばれることにすごく怒ったそうです。

自分を下げて人に見られるって屈辱的なものですが、自分のプライドを
保ちつつ、舞台に上がられていたようです。

アホは大阪では親しみを込めて使われます。
両親が大阪人の私も「アホやな〜」っと言われると、素直に失敗を
受け入れられますが「馬鹿だな」と言われるとその人が嫌いになります。(笑)

坂田利夫さんについて書いてみたいと思います。

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プロフィール

坂田 利夫(さかた としお)

1941年(昭和16年)10月7日生まれ。81歳。

漫才コンビ「コメディNo.1」の元メンバー。
ボケ担当本名・地神 利夫(じがみ としお)

通称・アホの坂田

後輩芸人や年下の著名人や一般人からは坂田師匠と呼ばれている

此花商業高等学校卒 (現大阪偕星学園高校)

大阪ガス入社も2年で退職。様々な職を経て芸人の道へ。

大阪ガスでサラリーマンをされていた時期もあったのですね。
芸人さんって一流企業からの転身割れる方は今こそ多いですが、坂田利夫さんが
最初ではないでしょうか?

過去のインタビューで、勉強はできた方で社会科が特に好きだったと
話しています。
賢い人ほど、『アホになれる!』

もう一人の坂田利夫さんのプロフィール

アメリカンジョークによると、

坂田利夫(地神利夫)
1941(昭和16)年10月 大阪府大阪市に生まれる。
1960(昭和35)年 私立灘高等学校卒業。
1965(昭和40)年 京都大学理学部数学科卒業(理学部首席)
大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻博士前期課程入学。

っという坂田さんの学歴もあります。
これは全くのジョークで、ワイヤーロープの家内工業で貧乏だったし、勉強も大して好きではなかった坂田さんの「こんな学歴だったら」の空想の学歴。
大阪に住む者の完璧な学歴ですね。

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東京だと、
日比谷高校卒。
東京大学理科三類卒業(医学部)
ハーバード大学留学・・・
って感じでしょうか?

アホの坂田の口から言うから面白いのであって、他の人では笑いには
ならないんですよね。

認知症?介護施設入所

間寛平さんのTwitter報告によると、坂田利夫さんは現在老人介護施設に
入所されています。

写真から読み取るしかありませんが、誤嚥しないようにとろみのある食事を
とっていたり、ベッドに横になっている様子から1日の大半を横になって
いらっしゃる生活なのだと思います。

前は帽子もツバがあるタイプの帽子でしたが、寝ていても痛くないような  
タイプになっています。

また、頭を撫でている、頭に手を置いている写真から、もしかしたら軽い認知症に
なられているかもしれません。
寝たきりのみなら、年配者の頭を撫でたりしませんが、認知症が進むと
子供に帰る方が多く、頭を撫でてあげると安心されるからです。


写真から勝手に想像しました。間違っていたらすみません。

慕われる人柄

女性と接するのが苦手で、結婚はされていません。
でも結婚願望はずっとあるとこれまで公言されてました。

ナインティナインの岡村さんが、売れっ子になって周りにいくらでも
女性がいるのに、やはり奥手でなかなか女性と付き合うことができないと知った
坂田さんは岡村さんをとても可愛がったそうですね。

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政治家にもなった西川きよし・ヘレン夫妻とは特に仲良しで、(漫才の人たちは食べれなくて売れてお金のある芸人と一緒に住む逸話をよく聞きますが)一緒に暮らしていた時期があったそうです。
西川きよしがお金に困窮して一家心中を図ろうと思った時に、「友達だから」と坂田利夫さんを誘ったのは有名な話です。
死ぬ順番は、坂田さんから〜と言う指示だった
とか。

上岡龍太郎さん、明石家さんまさん、藤山寛美さん、間寛平さんは弟子ではなく仲間でしょうが、さんまさんは『兄さん』って呼んでましたね。

いろんな人と同居してるから、その家の子供もみんな坂田さんを第二の父親のように接してきているようです。

坂田利夫さんはテレビで見ている私たちには知り得ない懐の広さや暖かさのある人という逸話がたくさんあって、交流の深い人がたくさんいらっしゃるそうです。

そして、坂田利夫さんを慕う人も沢山。好かれる人柄のようです。

先人から受けた恩を後輩に返すことも忘れず、若手芸人たちを食事に連れて行くことはしょっちゅうあったそうです。

逸話の数々

男女混声合唱隊の「アホっ、アホっ、アホっのサカタっ」と投げやりっぼく吐き捨てるようなコーラス、アホを治すには蚊取り線香を粉にしてそばに振りかけて食え、という支離滅裂な歌詞は吉本新喜劇作家陣の重鎮竹本浩三氏。
作曲は浪花のモーツァルトことキダ・タロー氏のゴールデンコンビによるもの。
これは大ヒット間違いなしと思いきや、大阪府教育委員会から「坂田姓の子供がいじめられる」と苦情が寄せられ、一部で人権問題化していることが判明し、レコードは廃盤となり放送禁止曲扱いされるという深刻な事態となりました。
現在では、テレビで坂田師の登場時に流れるお約束ソングとして復活を果たしています。

新聞記事になった記憶があります。
今のイジメ問題と違い、大人の判断が早かったですね。
大阪府教育委員会が訴えるなんてところが、社会がちゃんと機能していた証拠です。

「いつも『僕の芸をどうぞ見てやってください』という気持ちで舞台に立ちます。お客さんには『坂田またアホなことやってるな』と笑って、一日の疲れを取ってもらえればいいんです」

でも、舞台を降りて、家族が一緒の時に街歩く人が「アホの坂田や〜」っと言うとものすごく怒ったとか。
家族もまとめて馬鹿にされている気もしたのだと思います。

漫才コンビ「中川家」の中川剛がパニック障害に陥り、仕事が激減した際には「しゃべれんかったら、アホな顔して笑ろとったら、ええねん」と優しく声をかけた。剛はその後、障害を克服し、中川家は漫才コンテスト「M-1グランプリ」の初代チャンピオンに輝いた。

人の痛みがわかる人なのだと思います。
こう言う温かい人に言われたら、心のどこかで安心できますよね。

ギャグとアドリブを自由自在に使いこなし、笑いを届けてきた坂田師匠が「坂田利夫」を演じていない時の“天然ボケ伝説”をひとつ。妹さんの披露宴の挨拶で「ふつつかな妹ですが~」と言うつもりが「ふしだらな妹ですが~」とコントのような言い間違いをされたそうです。

結婚式場のその時の雰囲気が知りたいですね。

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坂田利夫さんは飛行機嫌いでも有名。
海外ロケとスケジュールに余裕がない時以外には決して飛行機には乗らないことも徹底されています。
ある時、北海道の旭川へロケで行かれた時も、前後のスケジュールに余裕があったために、マネジャーも連れずに1人で片道20時間以上かけて電車と車を乗り継いで大阪と現場を往復し「ほんまに日本一、電車に乗ってる芸人ちゃうやろか?」とご自分でもおっしゃっていたそうですよ。

まとめ

坂田利夫さんは老人介護施設に入所されています。

写真からの想像では軽い認知症ではないかと思います。
一番楽しかった時代、年齢に戻ると言うので新しいギャグがふっと漏れたり
しているかもしれませんね。

坂田さんには社会問題にまでなったレコードがありました。
「アホっ、アホっ、アホっのサカタっ」が連呼される強烈な歌詞が続くので
坂田姓の子供がいじめられると大阪府教育委員会から訴えられた。
今では、アホの坂田が登場する時のテーマソングだそうです。

大阪ガスと一流企業に勤めていたのに、面白くなく職を転々とされて芸人の路へ入られました。大阪の人って、「おもろない」っと言う転職理由をよく聞きますね。
東京の人は、「給料が見合わない」「きつい」とかいう理由になると思います。

逸話の沢山残されている、お笑い芸人の後輩たちから慕われる坂田利夫さん。
まだまだお元気でいらしてくださいね。

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