松田聖子ディナーショー2023|ファンが熱い想いで支えるこれから。

アーチスト
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今年もクリスマスディナーショーシーズンが始まりました。

2022年12月18日に愛娘の神田沙也加さんが急逝した年の紅白歌合戦は、急遽出場を辞退、また予定されていた恒例のクリスマスディナーショーも全て中止されましたが、
今年は待ち焦がれているファンのために開催がスタートしました。

松田聖子さんの不動の人気ぶりは、ファンが聖子さんに向けるエールの眼差しがとても温かいということ。

ファン心理について考えてみたいと思います。

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今更だけど松田聖子とは

松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日生まれ)
身長160cm、体重42kg
福岡県久留米市荒木町出身。
血液型A型。

アイドル山口百恵が引退した年の1980年4月に「裸足の季節」でレコードデビュー。
伸びのある歌声で注目され、リリースしたレコードが次々とヒットを記録する1980年代を代表するアイドルとして活動。

デビュー当時の歌謡界は、わずか7年半の芸能活動で日本国中のファンを得た山口百恵さんの引退に伴い、交代のようにデビューしました。
当時国民のほぼがファンで、父で母で姉で妹として山口百恵を見ていて、結婚も祝う気持ちがすごかった。マスコミもみんなが味方だったと思う。

14歳で鮮烈デビューし、人気絶頂の21歳で芸能活動に自ら幕を引いたのに、今現在もファンがいて、音楽配信やカラオケ含め年間約4億の収入があると巷で言われています。

現代の「若くしてファイヤーして引退」の走りとも言えますね。😳

芸能界が山口百恵ロスを引きずっていた松田聖子のデビュー当時は、『可愛くないアイドル』と言われました。

今なら名誉毀損の『ブス』という言葉まで平気でインタビューの記事があったりもしました。

昭和っておじさんが平気で女性蔑視の言葉を使ってましたよね💦

音楽業界の偉〜い人たち、評論家と言われる方々も、山口百恵と松田聖子を比較したインタビューを受け、ファッション誌が企画したりまでしました。

しかし、あっという間に山口百恵さんのイメージとは全く違った明るい、爽やかな声、絶対に音程を崩さない歌唱力に、偉い方々も認めざるを得なくなりました。

松田聖子さんより少々年下の私、外タレ好みで日本のポップス界には全く興味がなかったのですが、毎月ファッション誌には特集され、歌番組やバラエティにもどこにでも登場する『松田聖子』に田舎の小さな身長の、細い女の子がのし上がっていく様子をちゃんと視野には入れていました。

家族団欒でついていたNHKの歌番組。(何だったかは忘れましたが)
NHKの司会者が聖子ちゃんが歌い終わった後に『確実な歌唱力でしたね』って本人に言ったコメントに、子ども心に「歌手に向かって失礼な言い方だな。この人も否定的な側の人だったんだな〜」っと思ったものです。

聖子ちゃんも声なく目も合わさず口元は笑っていたけど、目の奥に火🔥を見た気がしました。

歌唱力がなくても人気だけで歌う歌手なんて山ほどいるのに、そちらの大御所歌手には持ち上げる様子を見せていて、「日本のレベルの低さよ〜」なんて思っていたのです。

初めは男の子のファンがほとんどだった松田聖子も、7枚目のシングル曲『風立ちぬ』で失恋した女の子の気持ちをグッと掴む歌い方で、一気に女の子ファンが増えました。

大人になってから聞くと、若い頃の苦い恋を思い出したり、恋心の辛さを言語化した寂しさがとても理解できたりしますね。

あの時のモヤモヤは、こういうことだったか!みたいな(笑)

くそっ。あの時私を振った奴😤

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ビジネスマンの松田聖子

松田聖子さんは『松田聖子』のオーナーであり、初めはもちろんサンミュージックに生まれさせてもらったけれど、売れてくると『松田聖子』をプロデュースを自身がしていた。

(大人になって知りましたが、デビューの時、5社に断られてサンミュージックが引き受ける形の契約だったそうだけど。大化けでよかったね!)

ファンが持ってるイメージを作りだし、維持し、『松田聖子』が落ちないように努力していた。

「私が『松田聖子』を辞めたら、『松田聖子』で生きている人たちの仕事がなくなる。新たなアイドルをまた作らなければならない。だから、私は辞められない」

言い方は少し違ったかもしれませんが、こんな意味のコメントを見て驚きました。

若いのにこんなにプロ根性を持って働いてるんだ!
『フリフリのお洋服や衣装(当時MILKを好んできてましたね。)を着て、首を傾げて小さな子供のような仕草と共にぶりっ子な笑顔』は、ファンのため、会社のため、世の中のためなんだ〜っっ

大学生だった私は、働くという姿勢を彼女からも学んだのは事実ですね。

なので、『松田聖子』と仕事をした歳の離れた大物女優さんや、ビジネスマンが軒並み友人関係を公言し、仲良くしてもらいたい側に変わって行ったのがとてもわかりやすかった。

先にも書きましたが、私は海外アーチストの歌しか聞かなかったのだけど、『松田聖子』は無視できなかったですね。

なので、デビューされてからファンでいる人たちは、もっとすごいカリスマ性を彼女に感じていると思うのですよ。

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松田聖子のファンは

そんな『松田聖子』も61歳。

ファンは同世代が最多ですよね。
みんな一緒に育ってきた。

当時は男女半々だっただろうファンも今は圧倒的に女性ファンが多いと思います。

私もまだ若い頃、私たち世代が老人ホームに入ってら、きっと

『童謡?そんなの歌わないわよ!幼稚園生じゃあるまいし!松田聖子とか中森明菜の歌を流して!カラオケするからー!!』

っというお婆さんばっかりになるよね。

我々の次の世代は、ジャニーズ歌うのかな〜。

それとも、呆けて嵐の誰かを元彼と信じ込んで昔話をするとか・・笑

な〜んて話していましたが、『松田聖子』が歌手を続ける限り、ファンも現役でいられるのではないでしょうか?

松田聖子の髪型を真似て、仕草を真似て、歯の美歯矯正から、男をどんどん変えながらも、上を上を目指そうと頑張る勢いも、自分はできないけど夢にはみたいから擬似体験して・・・。

ディナーショーを開いてくれたら、どんなに高額でも生歌を聞きたいと、ネットを駆使してチケットをゲットするのだと思います。

残念なことに、妊娠した時からみんなが知っていた神田沙也加さんが他界され、そのショックはファンとはいえ大きな衝撃だったと思います。

「お子さんは?」っとインタビューされて

「排卵日を待ってます!」
っと度肝を抜く返しをしたあのインタビューから、注目されていた赤ちゃんだったから。

ファンからしたら神田沙也加さんの親じゃないけど親みたいな感覚があったと思う。

なので、喪が開けたでしょうからとNHKが紅白歌合戦に出場依頼したりすることにも腹が立つし、子供を亡くした母親の気持ち(うーん。やっぱり父より母の方が受け止め重いと思います)は想像に絶する。

でも母になった経験のある人なら理解できる。

今年、ディナーショーをするに至った松田聖子さんも、

『この人たちの前なら、また歌うことができる。支えてもらえる。』

という想いがあると思います。

だって、歌うことが大好きなんだから!

歌ってなきゃ、立っていられないのだから。

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まとめ


特別なファンじゃなかったけど、『松田聖子』はすごい歌手だ!

母としての想いは、ファンが支えてくれます。母という立場の人はみんな同じ気持ちを持っています。

どうぞ歩き出してね!

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