岡田紗佳|プロ雀士になる方法と経歴を調査した!

タレント
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麻雀といえば
古い建物のタバコの煙でむせ返った小さな部屋で、ジャラジャラ言わせながら長時間座り続けるイメージでしたが、今時はキュートな女の子も出入りしているとか。
そこで知ったプロ雀士 岡田紗佳さんを調査!

『プロ』とわざわざ頭につける職業って何がありますか。
その道のプロってことですが‥
プロの定義は
【プロとは、
自分の人的資産となる、知識、経験、技、スキル、ノウハウを個人や企業、組織、チームに提供し、ハイレベルな仕事を通じて高額な報酬を得ている、達人の領域に達した熟達者を指す。
プロは、英語で「Professional」と表記されます。
日本語では、「名人」意味します。】

プロ野球選手
プロサッカー選手
プロバスケットボール
水泳にはプロとはつけませんね。
プロ棋士・・・

存在はしているけどあまり耳慣れないのは『プロ雀士』ではないでしょうか。

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略 歴

2009年青山学院高等部入学2016年青山学院国際政治経済学部卒業。
2012年non-no(集英社)専属モデルになる。
『ネプ&イモトの世界番付』に出演
2017年日本プロ麻雀連盟所属の女流プロ雀士になる。

父は日本人・母は中国人。日本語、北京語、上海語、英語が堪能。

6歳まで日本で両親と暮らしていたが、母から「中国語を勉強するため、小学校を卒業してきなさい」と言われ、単身で中国に渡り、上海で雀荘を経営する中国人の祖母と2人で暮らした。中国には中学生になるまで滞在し、この時期に初めて麻雀体験をする。
本格的に麻雀を始めたのは大学生の頃で、モデル仲間が携帯の麻雀ゲームをやっていたことがきっかけ。特技は古筝(こそう、中国の伝統的な撥弦楽器)クラリネット。

中国語は地域によって言葉が全然違うそうで、北京語・広東語・福建话・江浙语・湖南语・江西语・客家语と大きく7つがあります。
7つが主だった言語ですが、その他にたくさんの言語があり、日常的に用いられているのは中国国内で80ほどあると言われているそうです。 
その他少数民族などさらに細かく分類すると、その数は130種類以上になります。 

同じ中国人同士でも、出身が違うと、標準語で話さなければコミュニケーションができません。
ヨーロッパほどの土地の大きさだから仕方ないのかもしれませんが、岡田さんが話せるという上海語はその他に属するのですね。

恋人は?

自他ともに認めるほどどっぷりと麻雀漬けの生活を送っているそうだが、ちゃんと恋はしている。
’20年に同じMリーガーのイケメン雀士、白鳥翔氏との交際が発覚。
以降麻雀ファン公認のカップルとして注目を集める。
’21年9月には自身のSNSで白鳥との破局を報告し、次のお相手もやはり雀士。
このイケメンは、プロ雀士の浜野太陽氏。
まだMリーグには選ばれていませんが、慶應大学卒の期待の若手。
麻雀プロ同士は練習や大会で顔を合わせ、プロ活動を通じて知り合ったそう。

プロ雀士とは

プロ野球選手やプロサッカー選手でも収入に大きな幅があるのと同様、
プロ雀士も相当の幅があるようです。

大会で優勝すると賞金は出ますが、運に大きく左右される競技なので、それを頼りにすることはできません。
プロ雀士が大会に出ていない間は、「雀荘の店員」が多いのだそうです。
プロを目指す人はまずは雀荘の店員になり、そこで技術を積んでいく人が多いようです。
雀荘の店員のみをやっていて、麻雀大会などでも良い結果が残せなかった場合は、
年収250万円程度となるそうです。
最も稼いでいると言われる女流麻雀プロの場合、年収1000万円を軽く超えるそう。

麻雀のプロって聞くと頭の回転が早いイメージがありますよね!
岡田紗佳さんは地頭の良さを感じますね。

プロ雀士になるには

勝手にプロと名乗っている人もわずかながらいらっしゃるようですが、
麻雀プロになる為にはしっかりとプロ雀士への試験を合格しなくてはいけません。

麻雀には競技麻雀団体があり、各団体の麻雀プロテストを受けて合格すれば、プロ雀士になれます。
最高位戦日本プロ麻雀協会のプロテストは前期・後期と年に2回行われています。
日本プロ麻雀連盟も前期・後期の2回あります。

★注意★ 応募資格/満18歳以上の男女(高校生不可)
こちらはどこの団体を見ても書いてあります。
最近は気象予報士ですら小学生が合格する時代ですが、法律により18歳未満は雀荘に入店できない事からプロテストも法に従い18歳以上が応募資格としてあるそうです。

一次 書類審査。
自分の履歴書と参加申込書を各麻雀団体に送付。
二次 筆記試験・面接
点数計算問題と多面待ち問題や麻雀用語の読み書きなど。
面接ではなぜ麻雀プロになりたいのか?を聞かれるそうです。
技術に意志確認が必要なのですね。

ピアノのグレード試験で「プロになりたいの?」なんて面接ないですけど面白い。

各団体を調べると過去問題集なんかもあったりしますので事前にチェックすることをオススメします!

三次 実戦対局

麻雀協会

「最高位戦日本プロ麻雀協会」
「日本プロ麻雀協会」
「日本プロ麻雀連盟」

麻雀の歴史

麻雀は中国で生まれたゲーム。
初めは「馬吊(マーチャオ)」というゲームだといわれている
。馬吊は牌や札の組み合わせによる紙牌ゲームで1368年〜1644年の中国で生まれたものだが、紙牌自体の起源は唐の時代「葉子戯」まで遡るので、麻雀も真の起源から数えれば千年以上の歴史を有するといえるそうだ。

この紙牌と骨牌(クーパイ)と呼ばれるゲームが合わさり、今日の麻雀の原形になるものができたとされる。日本に麻雀が伝わったのは明治の終わり、当時麻雀に熱中したのは文人や上流階級の人々が中心だった。
麻雀が大衆に浸透したのは、大正時代が終わりである。
「東京麻雀會」や「南々倶楽部」といった麻雀愛好者の団体や同好会などが東京、鎌倉・大阪でも次々と設立され、本格的な流行となった。

昭和2年、銀座に日本で初めての貸卓麻雀荘「南山荘」が開業し、大繁盛。
すさまじい勢いで麻雀荘は増えていき、2年後の昭和4年には東京だけでも1500軒を数えるほどになった。
取り締まりが強化されたり、戦争の影響もあり、麻雀人気は一時は下火になってしまう。
しかし、終戦を迎えた後ブームは再燃。
阿佐田哲也氏によって「麻雀放浪記」が連載されると麻雀は第二次麻雀ブームに。
多くの人々が小説でもブラウン管でも麻雀に夢中になり、昭和47年には麻雀専門雑誌「近代麻雀」が創刊。
タイトル戦の開催やプロ団体の設立など、今日の麻雀界の礎となるものができあがっていった。

大正時代から昭和初期にかけて、高尚なゲームとして上流階級のお楽しみであった麻雀。
親族が集まる正月などに、大人たちは小さな部屋に集まってジャラジャラやっていた
イメージだ。
長いキセルを咥えた祖母が麻雀牌をかき回していた光景を見たことがある。
モクモクのタバコの中の麻雀というイメージが私にはある。
ヨーロッパでいう『チェス♟️』。
歴史は違うけど、アメリカなら『オセロ』。
昭和の学生運動が終わり、高度経済成長期は「東大生は講義を受けず麻雀ばかりしている」と聞くこともあり、御三家の高校生も成績のいい奴がやるゲーム、『頭のいい人がやるゲーム』っと勝手に括り付けていた過去がある。

しかし、昭和の時代の雀荘は汚いイメージしかない。
働かない人間が、狭い部屋でタバコを吸いながら、クーラーなく扇風機の柔い風で
何日も洗ってない日本手拭いを首に下げて‥
危険な場所認定していた記憶もある。

まとめ

昨今の麻雀ブーム(第○次かわからないが)は令和らしく、メンバーも若い、イケメン、アイドル風と私の持っていた麻雀のイメージを一気に払拭した。

プロの雀士になるには、18歳以上で高校生は不可。
2次筆記試験、面接までクリアしなければならないと分かりました。
歴⭕️年は必要ないのですね。
面接でなぜ雀士になりたいか?という質問を受けるとは興味深いです。

今回調べて岡田紗佳さんの経歴はDNAと成長の歴史が『麻雀』だ。
故郷が中国ということもあるだろう。
中国の雀荘を経営するお婆さんのもとで育ち、麻雀初体験は中国にて中学生の時というが、きっと普段から近いものを感じて育ってきただろう。
青山学院高等部から青山学院国際政治経済学部を卒業。
non-no(集英社)専属モデルになったりしての雀士への道へ。

彼女の対戦風景をみると、相手の隙を狙うハンターの表情を見れる。
麻雀の女王の風格だ。
麻雀牌を繋げたドレス(座りずらそうだけど)を纏って対戦する様子を見てみたいとどうでもいいことだけど頭に浮かんだ。

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