木下レイナ|高級胡椒で起業。カンボジアの人々を救う24歳。きっかけは何?【没頭ガール】

番組
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19歳でカンボジアに移住し、20歳で起業した三重県四日市市出身の木下澪那さん(24)。
カンボジアの貧困や格差の問題に直面するなか、世界一おいしい高級コショウと言われる
「カンポット・ペッパー」の魅力を広めるビジネスへと行き着きました。
現在は、コショウの販売を通じて現地のカンボジア人の雇用までを生み出しています。

18歳で出会ったカンボジアの魅力に取り憑かれ、知り合いもコネもない中で起業し、
若さで突っ走ってきた木下レイナさんはどんな人なのでしょう。

木下澪那さん

1997年10月16日生まれ
学歴/同朋高等学校 普通科 医療看護系進学プログラム(MP)卒業

母子家庭で育つ。
母はエステティシャン

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高校時代は何を目指した?

中学生のときに、人生で初めて目指した夢が看護師でした。
看護師の近道として、高校から看護の勉強をしたかったので、三重から愛知県名古屋市へ県を跨いで通学。
高校受験を決めた当時は、中学校の校長先生から県外への進学は前例がないと猛反対を受け、一時は受験することさえ難しい状況でした。県外への受験は校長先生の許可が必須だったので苦労しましたが、当時から自分がやりたいと決めたことは何が何でも突き通す性格だったので、何とか最終的には許可をもらうことができ、無事に進学しました。

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意思がはっきりして目的を突き通す女性ですね。
中学生が高校進学先を決めるときは、親や学校の先生の意見を取り入れがちですが、自らの意志を貫き通して、渋る校長先生の許可を取り付けたのですから素晴らしいです。

お母様が自営業のエステティシャンで、エステに来られるお客様に看護師をされている方が多かったとか。
看護師さんから話を聞く機会も多く、人生で誰かの役に立つ、人を救える仕事をしたいと看護師を志すようになったそうですよ。

社会貢献活動に自分の喜びを見出そうとする想いは、人に対する優しさや
自分の人生に課せられた職務のように感じたのでしょうか。

アルバイトで、約3年間接客業に携わり、
お金を稼ぐ大切さを実感したそうです。
母子家庭で母が忙しいとわかっていながら、ご飯を作ってもらって当たり前、
欲しいものを買ってもらって当たり前だと思っていたが、アルバイトを経験
してお金を稼ぐ大変さを知りました。
当たり前に不自由なく生活させてくれるお母さんに感謝するようになったことが
大きな変化だったと言います。

お母様が働く背中をしっかり見てきたのでしょう。

自分の目標に向かって。
負けない強さは「母子家庭でも、一人娘に不自由なく大切に育てた強い母」
から受け継いだのでしょう。
人の助けになりたいと看護婦を目指したり、そうするには渋る校長先生を説き伏せ県外の高校に進学
したりと自分の意志で一歩一歩歩いているのがとても好感も持てますし、若いながらに尊敬の念を
感じずにはいられません。

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木下レイナさんの生き方を、現代の多くの若者に知ってもらって、夢は自分で向かうもの!
その先には成功がある!っということを感じてほしいと思います。

何がきっかけだったの?

看護師を目指していた高校3年の冬、アルバイト仲間のベトナム人女性が
実家に帰省することになったので、一緒について行ったそうです。

ベトナム最大の都市・ホーチミンを訪れ、高層ビル群とスラム街が一本の川を隔てて同居する現実に衝撃を受けた。
ベトナム戦争後、世代を超えて残る枯れ葉剤被害の爪痕も目の当たりにした。
帰国するときに「海外のことをもっと知りたい」との思いが芽生えたそうです。

大学への進学を取りやめ、インドで貧困層の住民のために家を建てるボランティアに参加。
高校卒業後はJICA(国際協力機構)の名古屋支部で勤務し、日本を訪れる
さまざまな外国人と関わりながら、語学への自信をつけていったそう。

JICAは高校生や大学生の単位の一つとして、一般の短期語学留学と同じように
貧困な国を見てボランティア経験する単位取得につながる活動をすれば良いのに
っと思います。

きっかけは、初めての海外旅行だったんですね。

なぜカンボジアや胡椒に興味が湧いたの?

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19歳の冬、再びベトナムを訪れた木下さんは、少し足を延ばして陸路で
カンボジアに向かいました。
バスを降り立った時、他の国と違う空気を感じ、どこか懐かしい気持ちになり
「私、この国に住む」っと感じたそうです。

移住は4か月後に実現し、世界遺産のアンコールワットがある観光都市の
シェムリアップで日本語教師として働いて生活費を稼ぐ。

行動が早いですね。

約1年が経ったころ、南部沿岸のカンポット州を訪問してコショウ畑に出会った
そうです。

 口に入れた瞬間、プチっとした弾ける食感ともに、とてつもない風味が口いっぱいに広がりこれまで経験したことの無いおいしさだった。

これが胡椒との出会いだったのですね。

 カンポット・ペッパーは、同州特産の有機栽培のコショウで、フランス植民地下の19世紀後半から栽培が始まり、20世紀初頭は年間8千トンが生産されていました。
ところが、1970年代から約20年続いた内戦やポル・ポト政権による自国民の大量虐殺などの影響で、コショウの栽培環境は荒廃。
近年も年間約50トンの生産量にとどまっているといいます。

扱っている胡椒は、カンポットペッパーというブランド胡椒。
カンボジアの一部地域でしか獲れない特別な胡椒だそうです。

胡椒の味の違いは、色で違う味わいというのはわかりますが、黒い胡椒を
いくつか並べて味の差があるというのは経験がありません。
栽培のやり方や、農薬の問題もあるのでしょうか。

カンポットペッパーはオーガニックで作られている胡椒で、農薬を使った
胡椒よりも断然美味しく、香りも味もよくなるとか。

木下さんはオーガニックの胡椒農家と契約し、直接仕入れて販売しているそうです。

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胡椒って種類がある?

胡椒は色が複数あり、それぞれ味も異なります。
黒胡椒、白胡椒、赤胡椒。
日本では黒胡椒が一般的ですが、料理で使い分けることでバリエーションが広がります。
赤胡椒は着色をしているわけではなく、完熟している色。
辛味を足したいときに入れる胡椒と違って、赤胡椒は甘くて香りをプラスする
イメージ。
どちらかというとハーブに近いかもしれません。

三色混ざって販売している会社もありますが、サラダやお豆腐などに一振りすると、一気に
華やかになりますよね〜。

カンボジア南部カンポット州の厳しい認証をクリアしたオーガニックファームで
生産された胡椒だけが名乗ることを許される「カンポットペッパー」。

その生産量は、世界で生産される胡椒のわずか0.01%しかないそうです。

希少性が高いだけでなく、味と香りも最高級。
「世界一美味しい胡椒」「世界一香り高い胡椒」と言われています。

東京のホテルや高級フレンチレストランのシェフも使用している様ですよ。お料理全てに使っていたえい、最後の一振り、『飾り』や『香り付』のような
使い方なら私たちにもできますよね。

カンボジア人スタッフの手で、ひとつひとつ手作りで育てられているカンポットペッパーは、古来からの完全無農薬の栽培法を現代まで続けているので小さばお子さんでも食育の観点でも本来の胡椒の味を知ってもらえますね。

どこで買えるの?

現在、Amazonや楽天市場などのネットでも購入可能です。

木下さんが運営するカンポット・ペッパー専門店「RAYS SHOP」では、50gで、2,800円で販売しています。
カンボジアでは従業員を雇用し、コショウ料理やスイーツを提供するカフェも開いているそうです。
カンボジアに旅行したらぜひ訪れたいですね。

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 現在、店で販売するコショウの生産を担う契約農園のスタッフは25人、販売店の従業員は4人いるそうです。
もう立派なビジネスマンですね。

まとめ

世界で生産される胡椒のわずか0.01%しかない高級胡椒『カンポット・ペッパー』に魅せられ
たのが、まだ19歳という若さ。
そして
現地の人々の雇用を生み出し、貢献し、世界へ販売網を作り出した木下レイナさんは、現在24歳です。

カンボジアに行き着く出会いは、18歳。高校生時代のバイト先のベトナム人が帰省するのに同行したのが初海外旅行。海外をもっと見たい!知りたい!のきっかけになりました。

19歳で、再度ベトナムから陸路でカンボジアに行き着きます。行った瞬間に『ここに住みたい』
っと思ったそう。そのために、語学の勉強や、JAICAでバイトをしながら発展途上国と関係することを学んだそうです。

意図せず、『カンポット・ペッパー』の畑に観光で連れて行ってもらい、胡椒に出会う。
故障というものに初めて意識し、目覚めたレイナさんはこの胡椒を世界に広めたいと思う。

カンボジアで小さな農園で大切に育てられながらも、知る人ぞ知る高級胡椒だった『カンポット・ペッパー』を世界の人に広めたい!っと考え、短期間に使命のように実行した木下レイナさん。

次は何に向かうのか、楽しみですね。



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