WAKU|ネオンアーチストとは?経歴と大学を調査。

アーチスト
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ネオンの光を使った作品を発表するアーティストのWAKU(わく)をご存知ですか。
東京、銀座6や向かい側にあるUNIQLOなどでWAKUの大きな作品を観た方もいるかもしれません。
WAKUはまだ28歳のアーチストです。


青山学院在学中からネオンに魅せられ製作してきたといいます。
どんな経歴のアーチストか調べてみました。

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WAKU Profile

1996年東京生まれ。
浄土宗寺院の明福寺の寺の次男として誕生。
幼少からロウソクの光が寺や本堂の仏像を照らす様子を見て育ち、光と光が作り出す空間に対して興味を持ったそうです。

ある意味神秘的な空間が自宅って、アーチスト魂を持った人には
何かしらの響きを受けながら成長されたのではないかと思います。

2016年青山学院大学入学(学部は不明)

仏教徒のお寺の息子さんだけど、カトリックの青山学院に入学したのですね。
家業を継ぐという意思がないのかもしれませんね。

2017年ネオンサインの加工会社で国内有数の工場 島田ネオンの門を叩く。

2018年に米ニューヨークに渡る。
ネオン職人のナム・ジュン・パイクの作品を⼿がけていたデイヴィッド・アブロン(David Ablon)に師事。

帰国後、ネオンサインスタジオgokouを設立して企業向けの作品を手掛けるとともに、アーティストとしても精力的に活動していらっしゃいます。

⭐️デイヴィッド・アブロン(David Ablon)の作品は、
 アート部類ですが基本店の看板を作品としてますね。
 WAKUのような抽象的なアートとしての作品は見つけられませんでした。

創作活動

サントリーが主催する「TOKYO CRAFT ART BREWING」への選出
Gallery COMMONでの個展「In Person」(2020)
CON_とDomicile Tokyoでの個展「素朴光」(2022)
UNIQLOのサンフランシスコ店への作品提供
リニューアルされた渋⾕PARCOなどへの制作協⼒
伊勢丹新宿店看板制作チームに参加

個展も開かれていますし、東京ならではPARCOや伊勢丹新宿店の
仕事はとても大きな経験になるのだと思います。

作品への想い/ネオンアートとは

「形に一定の意味があることへの違和感」を契機として、ネオンの要素としての「光」そのものに焦点をあてるために、抽象的な形態のネオン作品を制作。
非常にアイコニックで即物的な消費社会的記号となっている。

ネオンライトの探求を中心に活動するWakuは素材、形、要素に対する私たちの理解に挑戦し、私たちがどのように世界を認識し、関係しているかについて問いを投げかけている。

ネオンは文化的に看板と結び付けられることが多い媒体であるが、Wakuの作品ではそれ自体が最終形態として扱われる。

仏教寺院の家系に生まれたWakuは、幼少期 にロウソクを灯して祈りを捧げたときやお寺の本堂で金色に輝く仏陀が「光の原体験」を形成し、彼は自然と光の要素に惹かれ、空間を創り出す道筋を見出した。
アーティストでありながらも職人でもあるWakuは、ネオンを動かす物理的なハードウェア(ガラス、電気、アルゴンガス など)との密接な関係を出発点に、「ネオンの光を自由にする」ことで新しい意味を生み出す試みを柔軟に展開する。

肝心なのは元ネタであるロゴをバラバラにして圧縮し、無意味なものへと変化させていることだ。
Wakuのネオンは1分ごと、順番にライトアップされる。
ひとつひとつの光に集中してほしいというWakuの意向でこのような展示方式にした。
暗闇の中でおぼろげに、儚くも美しい光を放つ作品たちは神聖な雰囲気を帯びる。
じっと見ていると元ネタのイメージがだんだんと浮かび上がってきて、頭の中で結びついた瞬間は気持ちが良い。

Wakuが制作した消費社会的記号=数々のロゴが「堅牢なサイン」としての強度を持っている証明だ。
ネオンの一般的なイメージは懐かしさなど“エモ”なイメージが多いが、Wakuの作品は斬新かつ新しい可能性を感じさせるものだ。

静寂の中で光を見つめ、瞑想をするような感覚で心地よい鑑賞体験が味わえる。

表参道原宿ローカルメディアOMOHARAREAL抜粋

アートの評論って難しい言い回しが多いですよね。
WAKUの作品は、若さからくる、刺激の強いイメージの中に
神秘性が込められているということでしょうか。

香港の街中に埋め尽くされるネオンの看板も、集まるとアートですよね。
香港行ったら必ずネオン看板の写真取りますからね。

「田舎より都会が好き!」っという人がよく「ネオンがないと生きていけない!」
って言いますよね(笑)

それをアートとして捉えた感覚がすごい!

WAKUのインスピレーション環境

浄土宗寺院の明福寺(東京都江戸川区江戸川3ー8)が生家だそう。

天川山寂光院と号す。
明福寺は、嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国笠間郡から上洛のためこの地を通りかかり、炎暑の疲れを休めていた時、老翁の頼みに応じて雨乞いの祈願をして日照り続きの被害を救った。
その夜木陰にまどろんでいると、さきの老翁は毘沙門天であることを夢に見たが、果して林の中に毘沙門堂があったので、そのかたわらに草庵を結び、所持していた聖徳太子自作の像を祭ったのが始まりである言われている。
上人は三年の間この地に住み、安貞二年の春帰洛したといわれている。
鎌倉幕府滅亡後の戦乱で荒廃したものの、浄土宗鎮西派の沙門徳誉笈公が文明年間(1469-1487)に浄土宗寺院として再興した。
本堂の裏、雨乞いをしたという所に「鏡が池」と「けさ掛けの松」があり。
この池は聖人が自らの像を彫るため、御姿を写したともいわれ、また、この松は聖人がけさを掛けたともいわれている。
文化財として親鸞上人、聖徳太子自作の坐像、尊像があります。

明福寺HPより

立派なお寺の息子さんなんですね〜。
Googleマップで見てもとても大きな寺院で隣にルンビニー学園
幼稚園・保育園併設されていますね。

お寺で、幼稚園併設というと、一般的には昭和のどこにでもあるイメージの
幼稚園舎を思い浮かべますが、とても立派でお洒落な建物です。
幼稚園の体育館兼講堂は、園児の両親、それぞれの祖父母、兄弟と
園児の成長を見に来るであろう家族の人数を計算に入れて、私立の
大学並みの「人数が収容できる講堂」の大きさだそうです。

小さい頃からお堂や広いお庭で走り回っていたのでしょうか。
お寺って何かちょっと違う空気感やその場の色彩ってあると思います。

多感な幼少時代から魑魅魍魎なアートを感じてきたのではないでしょうか。

まとめ

ネオンアーチストとはなんぞや?
っと思った方もいらっしゃると思います。

ネオンアートとは、電気により発した光の色と、蛍光灯をチューブのように自在に成型することで生まれたオブジェ作品です。

まだ28歳と若いWAKUさんですが20歳で「ネオンで何かできるか?」
「光を形にしたい」などと閃いて修行の道に入ったとは、驚きですね。

『ネオンアーチスト』というアーチストの分類としてWAKUさんしか
いらっしゃらないようですね。
新しい世界を開拓されたのですね。

また、お寺の息子として生まれ、継承されるかは不明ですが
(あまりにも立派な寺院なので継承の可能性もあり?)薄暗い境内の中、
仏像の近くで揺れる蝋燭の炎を毎日見る環境からインスピレーションを受
けたのでしょう。

お坊さんの息子だけど、カトリックの青山学院大学を卒業されています。

大学の途中で、ネオンアートの門をたたき、NYでアーチスト活動。
その後、帰国して青山学院を卒業されたようです。

東京と修行先のNYで作品を公開されていますが、アーチストの顔はあまり出されていません。
どんな性格の方なのかはまだわかりませんが、これから大きく取り上げられてくるでしょう。
楽しみに待ちたいと思います。

新宿にあるデパート伊勢丹のビルの上には伊勢丹の象徴である『伊』を丸で囲ったマークのネオンが煌々と掲げられているが、近年再制作した際にWAKUもチームに参加したという。
今度伊勢丹デパートに行ったら、見上てみてください。

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