多くの名言を残している宇宙飛行士 野口聡一さんはボーイスカウト出身でいらっしゃいます。
宇宙飛行士という尋常ではない智力体力を必要とされる仕事に従事するのは全ての方向からのメンタルの強さが必要です。
そのいったんを担っていたのはボーイスカウト活動の経験ではないでしょうか。
背景のボーイスカウトから野口聡一さんの人柄等を調べてみました。
現在もボーイスカウト組織の一員として『ボーイスカウトアンバサダー』をされています。
ボーイスカウトについて
ボーイスカウトは小学6年生から活動します。
その前はカブスカウトと言って小学3年生から入団できます。
(現在はビーバーっと言って小学1年生から入団できますし、
団によっては幼稚園年長さんも正式ではなくとも活動に参加できたりします。)
ボーイスカウトは、小学6年生から中学3年生を対象としています。
ボウイスカウト日本連盟
「班」というグループの中で、それぞれが自分の役割をもち、協力して活動します。
キャンプやハイキングなどの野外活動の中で「リーダーシップ」「協調性」「社会性」などを育み、奉仕活動を積極的に行うことで「役に立つことの大切さ」を学びます。
小学6年生からみた中学生は、年は近くともとても頼りになる大人に見え、憧れを持って活動してきたと思います。
また、年下の子達を導くリーダーとしての素養もこの頃から意識して成長するので、社会人になったときに大いに役立ちます。
過去の大物政治家や現在の政治家、一流企業のトップを務めた方々もボーイスカウト出身者が多くいらっしゃいます。
多分、ボーイスカウト関係者の方が多いのでは?
すべての青少年が健康で、自信と勇気をもち、自らの能力を人のため・社会のため発揮できるボーイスカウト独自の教育法をもち、100年変わらない青少年教育運動を続けています。
ボーイスカウト日本連盟サイトより
昨年2022年はボーイスカウト100周年だったそうです🎉
ボーイスカウトは子どもたちの好奇心や探求心にこたえる活動を通して、心身ともに健全な人材を育成することを目的とする世界的な教育運動です。
ボーイスカウトと聞くと、イメージするのはキャンプやハイキング、街頭募金などとよくいわれます。ボーイスカウトの活動は、主に野外で、子どもたちの自主性を大切に行います。
グループでの活動を通じて、それぞれの自主性、協調性、社会性、たくましさやリーダーシップなどを育み、「一人前」な人を目指しています。1922(大正11)年4月13日、静岡県で開催された「第1回全国少年団大会」において、ボーイスカウト日本連盟の前身である「少年団日本連盟」の結成が決議されました。
ボーイスカウト日本連盟サイトより
宇宙飛行士にまさしく必要な精神論ですよね。
クリスマス時期になると『ピースバッグ』と言って、学用品等が入ったプレゼント袋を作り、恵まれない世界に住む自分たちと同じ世代の子供にプレゼントをします。
なんとなく知っている紛争地の子供達や貧しい国の現状を知り、持ち得ている自分が『何をできるか?』を考えるきっかけになるのです。
ボランティア精神も育まれまれていきます。
こうして、海外のスカウト仲間にネット上でニュースを交換したり、小さな子供にも『世界で同じ年頃の子供が飢えている現実や、力のない小さな子ができるゴミ置き場からビニール袋を拾って、綺麗に洗い、売りに行く』というビデオを見せて、持っている者から持っていない者に対して温かい気持ちを持つという精神を持たせます。
クリスマスはそういう時期なのです。
これを経験しているボーイスカウト、ガールスカウトたちは、小さくても「ピース」を
写真を撮るときに利き手で作る✌️ではなく、『平和』という意味で捉えています。
『備えよ常に!』
どんな境遇に至っても対処ができるように普段から心がけると言うモットーで
1910年にイギリスで組織され1920年から日本でも始まったガールスカウトも同じです。
余談ですが、
ボーイスカウトは、団長のみでなく団員の保護者も協力する場合が多いです。
一緒にアウトドアする経験は、親にも叡智を得られ、他のお子さんの
保護者と交流して世界が広がりますよ。
また、就活にStarbucksやUNIQLOでアルバイトをした経験が生きるように、ボーイスカウト出身者も様々な所に先輩がいるので、世界に輪が広がります。😁
経団連の会長・副会長などの経営陣や、政治家にもボーイスカウト出身者
が実はとても多いのです。
1907年にイギリスではじまった青少年教育活動は、今では世界では173の国と地域、
5,700万人以上、日本には団と言われる活動母体がおよそ1,700あり、約8万人が活動しています。
名言の数々
野口聡さん名言は有名で、本もたくさん出ていますが、私が響いた言葉を
載せておきます。
貴方の心を照らす言葉がありますように。
どんなに悩んで苦しんでも、
野口 聡一 Soichi Noguchi
時間しか解決してくれない問題というのはあるものです。
じたばたしても状況を悪くするだけということも多い。
だから無闇に問題を解決しようとせず、
日々やらなければいけないことをコツコツとやっていくしかないでしょう。
試行錯誤を繰り返してきた人ならではの言葉ですね。
ずっしり響きます。
宇宙での生活で最初に驚くのは、動くものは止まって見えて、
野口 聡一 Soichi Noguchi
止まっているものは動くことかな。
なぞかけみたいですけど、このふたつは大きいと思います。
こうだと普段思いこんでいるものは、違う場合だってあるんだよ!
っということかな?
未知の領域を知りたいというのは生物の本能で、宇宙開発も
野口 聡一 Soichi Noguchi
その途上にあるものだと思います。
『知りたい』がある人は永遠に若いですよね。
宇宙飛行をして外から地球を見ると言う経験は人を変えずには
野口 聡一 Soichi Noguchi
いられない。
なにしろ生まれて以来見てきた全ての人々、全ての生命、
全ての景色、全ての出来事は、目の前にある球体で起きたこと
なのだから。
海外旅行をして、全く環境の違う世界を見たら、それまでに持っていた
考え方は何て小さかったのかと気づくと言いますよね。
国を超えてでも考え方はひっくり返るというのに、
星として見た時どんなふうに打撃を受けるのでしょう。
挑戦者がいて危険や失敗の末に成功して、新しい世界が開けた。
野口 聡一 Soichi Noguchi
初めてアワビやナマコを食べた人には尊敬
一番大事なことは、自分の頭で考えること。
野口 聡一 Soichi Noguchi
誰かから言われたからというよりは、自分の中から出てくる言葉に
従ってやる方が限界以上に頑張れる。
JAXAを卒業しようと思った時に考えたことは、
野口 聡一 Soichi Noguchi
「宇宙だけじゃ狭いよな」ということ。
もうこんなこと言われたら、どうコメントしていいやら…😱
自分自身の能力をアピールするにしても、実績がなければ、
野口 聡一 Soichi Noguchi
評価してもらえません。
もちろん最初は、できることも少なければ、自信も持てませんよね。
そんなときは、やる気だけはある、それだけでもいい
コツコツと…kotukotuto…ひたすらに…
どんなことにも困難はつきまとうはずなのですが、その困難ばかりを
野口 聡一 Soichi Noguchi
先に考えてしまい、やるのをよそうと断念してしまう。
夢を見る以前に、夢を見ても叶わないだろうと、最初から諦めてしまう。
面白そうだけど、大変そうだから何もしない……。
でも、何もしない、ということは、何も変えようとしないということ
でもある。
遠くの目標の為に今日、1歩が踏み出せれば、その夢はきっとダメには
ならない。
この一歩が難しいですよね。
そして、この一歩を踏み出した人に周りの人も賛否両論で賛成してくれる人ばかりではなく
惑わされたり
スペースシャトルについて
「打ち上がりの瞬間よりも6-7分後が一番加速度が上がる。
9分後には宇宙にいることがわかる」
と語っています。
「すべてが無重力になり床のホコリが舞い上がる」というのが宇宙に
着いたことを実感する瞬間とのこと。」
大気圏を超える?無重力空間のエリアまで9分で着いてしまうのですね〜。
宇宙飛行士だった有名人たち
野口聡一さんは、小学生時代のボーイスカウト活動を通して、
自然の中で友情や生活のスキルを学び、人間力を鍛えてきました。
生きる力を学ぶ。
また年齢の異なる小グループの活動で、協調性と責任感も養いました。
海外のボーイスカウトとの交流をされたかは不明ですが、国際性も身に
つける素養はたくさん育まれたと思います。
将来の宇宙飛行士に憧れた人は多いのではないでしょうか。
過去、宇宙飛行士達は帰還すると聖職者になる確率がとても多い
と統計が出ています。
立花隆著作の『宇宙からの帰還』は有名です。
アメリカやロシアの宇宙飛行士は帰還してから早い段階で仕事から去ると。
日本人宇宙飛行士では、1990年初めてジャーナリスト(元TBS)として宇宙
に飛んだ秋山豊寛さん(現在80歳)がその一員ではないでしょうか。
宇宙船ソユーズに乗り込む時にマイクを向けられ、ちょうど中学受験期だった息子に向けた一言を発したことに私は違和感を覚えました。
「公共放送を担うジャーナリストの貴方が?」と私的な発言を日本国内だけでなく世界に向けた公共の場で言うのか?っと思ったのです。
当時まだ携帯もSNSもなかったし、放送局の職員だし、いくらでもそれまでに国際電話でも家族で話せただろうっと堅い考えを持ったのは自分でも懐かしい。
しかし、筆者も子供を得て親になった時、生死を分ける宇宙への旅は確かに最後に一言と言われたら「子どもにエールを贈っておきたい」ことを後々理解できました。
1986年にあったチャレンジャー号爆発事故の映像はあまりにも衝撃的だったこともありますし。
ジャーナリストらしい宇宙からのメッセージは、一般人にはわかりやすい
視点でした。
そして帰還後、早々にホワイトカラーの世界から離脱。
富も名声も捨て、福島で無農薬の有機農業を始めたとニュースを見た時
「やはり高いところから物事を見る目になったんだなあ〜」っと立花隆氏
の本を思い出しました。
その後続いた毛利衛さんなどはアメリカの大学を出てスマートなイメージで、
スターのように宇宙飛行士が扱われるようになりました。
それまで、皇室に次ぐ扱いの報道規制が張られていたと思いますが、
「学歴、両親、家族、子供との関係など」アイドル歌手を追うような
インタビュー記事が新聞ですら飾って行くようになったように思います。
毛利衛さんからは、その追われることを楽しむようなところも感じ、
時代の変化を感じました。
秋山豊寛氏と3歳若いけれど、アメリカで育つとこうなるのか〜っと
思った明るい姿勢とこれまでにないハンサムなお顔立ちと高身長。
宇宙飛行士はみんなもちろん高学歴ですがアメリカの大学っというのが
受けていたように感じました。
しかし毛利さんは宇宙から地球を見た感覚が秋山さんとは違い、
現在も高齢ながら毛利さんから移行は現職を貫き出世街道を走って
いらっしゃいます。
また日本人の中では女性初の向井千秋さんは、女性だからこその
日本のマスコミの厳しさで様々取り上げられたと思います。
ご主人までがマスコミに追われました。
向井千秋さんは研究に人生を捧げた見事な方で現在は
東京理科大学特任副学長を務められています。
立花隆著作の『宇宙からの帰還』にあるような宇宙飛行士の末路は時代の変化を感じずにはいられないですね。
新たに多くの宇宙飛行士が宇宙に行く待機をしています。
人間の感覚が宇宙までエリア内になり、他の星をも求めていく今、
人の心の許容範囲はどこまで広がるのでしょうか。
ゆっくり星を眺めてみようと思います。
「JAXA職員として、子どもたちや宇宙を目指すベンチャー企業と携わるという手もあると思いますが、JAXAは非常にタレントが豊富です。
sorabatake インタビューより
私がJAXAに残るよりは、民間に出てフリーの立場で色々な方に助言する、あるいは一緒に物を作っていく方が日本全体で見たときにプラスになるのではないかというのがあります。
(同じくクルードラゴンに搭乗した経験がある)星出宇宙飛行士はアメリカにいらっしゃるので、SpaceXの宇宙船に乗った日本人は国内に私一人しかいません。そういう経験(クルードラゴンに搭乗したこと)を団体や企業、学校が聞きたいということであれば、発信して行きたいなと思います」
まとめ
野口聡一さんは57歳でJAXAから去られました。
野口聡一さんは聖職者にはなられなかったけど、ボーイスカウトの素養を基本にどんな世界を作っていくのか楽しみですね。
コメント